大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和49年(ワ)2025号 判決 1977年11月29日

原告

石橋典也

被告

信興太陽株式会社

主文

被告は、原告に対し、金五一一万九一〇六円及びこれに対する昭和四九年五月一八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告は、原告に対し、金八二六万六一六三円及びこれに対する昭和四九年五月一八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求原因

一  事故の発生

1  日時 昭和四六年五月七日午前九時四五分頃

2  場所 大阪市西区靱二丁目一二〇番地先道路上

3  加害車 普通乗用自動車(大阪五い二九二〇号)

右運転者 訴外大谷喬(以下「訴外大谷」という。)

4  被害者 原告

5  態様 現場道路を北進してきた加害車が、一時停止中の被害者運転車両に追突した。

二  責任原因

1  運行供用者責任(自賠法三条)

被告は、加害車を保有し、自己のために運行の用に供していた。

2  使用者責任(民法七一五条一項)

訴外大谷は、被告の従業員であるところ、被告の業務の執行として加害車を運転し、現場道路を進行中、交通が渋滞し先行車が徐行ないし一時停止を繰り返しながら進行する状況にあつたのであるから、前車への追突を避けるため、絶えず前方を注視して進行すべき注意義務があつたのにこれを怠り、脇見をし前方注視不十分のまま漫然と進行した過失により、被害者運転車両が先行車に続いて一時停止したのに気付くのが遅れ、本件事故を発生させたものである。

三  損害

1  受傷、治療経過等

(一) 受傷

頸部捻挫、頸椎椎間板損傷

(二) 治療経過

入院 昭和四六年五月一〇日から同年一〇月一〇日までの一五四日間

通院 昭和四六年一〇月一一日から昭和四八年四月六日までの間に二一九日

(三) 後遺症

後遺障害別等級表一二級一二号に該当する後遺障害が残つた。

2  治療関係費

(一) 治療費(ただし、自賠責保険より治療費として受領した五〇万円を控除した残額) 四九万一五九〇円

(二) 入院雑費 四万六二〇〇円

入院中一日三〇〇円の割合による一五四日分

3  逸失利益 四四二万八三七三円

原告は、事故前から訴外日本生命保険相互会社(以下「訴外会社」という。)に外務職員(事故当時は組織所長一級)として勤務し、昭和四五年の実績で二五七万三三三九円の外務支給(外務職員として訴外会社より受け取る給与を指す。以下同様である。)を受けていたものであり、事故がなければ、原告が昭和四六年以降受けるべき外務支給額は、訴外会社勤務の組織所長の各年度平均給与増加率(ただし、昭和五一年については、昭和四六~五〇年の各年度増加率の平均値)と同程度の割合で増加し、従つて、原告は、昭和四六年は二九四万九〇四六円(前年の一四・六%増)、昭和四七年は三五〇万三四六六円(同じく一八・八%増)、昭和四八年は四〇五万三五一〇円(同じく一五・七%増)、昭和四九年は四八一万一五一六円(同じく一八・七%増)、昭和五〇年は五九〇万三七三〇円(同じく二二・七%増)、昭和五一年は六九七万二三〇五円(同じく一八・一%増)程度以上の外務支給を受けることができるはずであつたが、本件事故により、事故当日から昭和四八年二月六日まで休業することを余儀なくされ、かつ、そのため、復職時には正職員へと二段階降格させられ(昭和四八年七月組織所長二級に再昇格しているが、そのまま現在に至つている。)、昭和四七・四八年の本俸の昇給額は、他の職員より極めて低くなり、また、事故前に締結していた保険契約が右休業中にほとんど打切られてしまつたこと及びそのため保険契約締結活動の足がかりを失い、いわばゼロから再出発して新規の契約締結に努めなければならない状況に陥つたことにより、復職後外務支給のうちの相当部分を占める成績手当・継続経費の支給額が大幅に減少するなど種々の不利益を被り、結局、昭和四六年は一五六万九六八一円、昭和四七年は一五三万四一二九円、昭和四八年は一七〇万四四三七円、昭和四九年は四一七万五〇七三円、昭和五〇年は四五七万三三九六円、昭和五一年は五一二万一八二八円の支給を訴外会社より受けるにとどまつたものであるところ、原告が外務支給を獲得するのに要する必要経費の割合は、平均して右支給額の四四%程度と考えられるから、右得べかりし支給額及び現実の支給額並びに必要経費率にもとづいて、原告の本件事故以後昭和五一年までの逸失利益を算定すると、合計五三二万八三七三円となる。そして、右金額より被告から休業補償として支払を受けた九〇万円を差し引くと、残損害額は四四二万八三七三円になる。

4  慰藉料 二八〇万円

前記の入通院状況、受傷・後遺障害の部位・程度、休業を余儀なくされた影響で、右逸失利益以外にも将来金銭に見積り難い損害を被るものと予想される(前記の降格、本俸の昇給額低下、従前継続させていた保険契約の喪失等の影響は、長期にわたり残存し、退職金・恩給の額にまで及ぶものである。)こと等の諸事情を考え合わせると、原告の慰藉料額は、自賠責保険より後遺障害による損害に対する保険金(五二万円)の支払を受けていることを考慮に入れても、二八〇万円を下らない。

5  弁護士費用 五〇万円

原告は、本訴に関し、訴訟代理人との間に委任契約を締結し、五〇万円の弁護士費用・報酬を支払うことを約した。

四  結論

よつて、請求の趣旨記載のとおりの判決(遅延損害金は、不法行為の日の後である昭和四九年五月一八日以降民法所定年五分の割合による。)を求める。

第三請求原因に対する被告の答弁

一  請求原因一の事実はすべて認める。

二  同二の1も認める。

三  同二の2のうち、訴外大谷が被告の従業員であり、被告の業務の執行として加害車を運転中本件事故を起こしたことは認めるが、その余の事実は争う。

四  同三の1のうち、(一)、(二)は不知、(三)は争う。

五  同三の2ないし5については、そのうち2の(一)及び4の、原告が自賠責保険金合計一〇二万円を受領した事実並びに3の、原告が被告より休業補償として九〇万円を受領した事実のみ認め、その余はすべて争う。

第四証拠関係〔略〕

理由

一  事故の発生及び責任原因

請求原因一の事実及び二の1の事実は、当事者間に争いがない。従つて、被告は、自賠法三条により、本件事故による原告の損害を賠償する責任がある。

二  損害

1  受傷、治療経過等

成立に争いのない甲第二号証の一部、第三号証、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨及び経験則によれば、請求原因三1の(一)、(二)の事実(ただし、(二)のうち、通院の実日数は二一〇日であり、甲第二号証中これに反する部分は採用しない。なお、入通院をした病院は、いずれも大野病院である。)及び原告には、右受傷の後遺症として、頭痛、頭重感、頸部痛、上肢の異常感・脱力感、右前胸部痛、右側肩こり、右下顎部・右環指・小指の知覚・発汗異常等がんこな神経症状が残存し(右症状が固定したのは、昭和四八年四月六日頃である。)、現在まで右症状にさしたる変化のないことが認められる。

2  治療関係費

(一)  治療費 九九万一、五九〇円

成立に争いのない甲第四号証によれば、原告は、前記大野病院における治療により合計九九万一、五九〇円の治療費を負担し、同額相当の損害を被つたものと認められる。

(二)  入院雑費 四万六、二〇〇円

原告が一五四日間入院したことは、前認定のとおりであり、経験則上、原告は、右入院期間中一日三〇〇円の割合による合計四万六、二〇〇円の入院雑費を要したものと認められる。

3  逸失利益

(一)  得べかりし収入額

前掲甲第三号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第六ないし第一四号証、証人芦田昇の証言、原告本人尋問の結果、並びに経験則によれば、次の事実が認められる。

(1) 訴外会社は、全国に一、〇〇〇以上の営業所(支部)を有し、多種類の保険を扱つている相互保険会社であること、右の各営業所に通常二名前後配属されている組織所長は、支部長を補佐し、一般外務職員の育成・管理の職務に携わり、本俸のほか、補佐手当(所長手当)、職能手当、育成手当、管理手当等の支給を受けるとともに、自らも保険外交員として保険の勧誘・募集及び保険料の集金を行い、成績手当、継続経費等の支給を受ける(このほか、通勤交通費補助、募集旅費等の経費支給も受ける。)ものであること、右の組織所長の主な支給項目のうち、成績手当(募集した保険契約の保険金額(契約高)に応じて毎月支給される。特定の募集に対する手当の支給時期は、保険料払込方法により異なるか、保険契約成立後最長一年以内である。)や継続経費(年二回、その時期に二年間以上五年間以内の範囲で継続している保険契約を有する場合に、その保険金額及び契約継続期間に応じて支給される。)は、所長個人の保険外交員としての成績が直接的に反映しやすいという意味で、能率給的色彩の強い支給項目といえるが、本俸(毎月一定額が支給されるが、勤務職員につき一律に定められている基礎本俸部分と、毎年四月、それ以前の勤務成績により累積的に増額される付加部分より成る。)や補佐手当(組織所長の地位にある者に、毎月一定額が支給される。)は固定給的な支給項目であり、また、職能手当(勤務職員の地位に応じ毎月一定額が支給されるが、組織所長の場合には、その在職期間、職員育成数などの要素が加味される。)、育成手当(毎月、主として自己の育成した職員数及び管理する職員数により定められる額が支給される。)、管理手当(毎月、主として自己の管理する職員の成績により定められる額が支給される。)も、自己の育成した職員の数・成績等に影響を受けるものの、自己の保険外交員としての成績には全く、あるいはほとんど左右されないという意味において、多分に固定給的な側面を有する支給項目であること、右能率給的色彩の強い成績手当と継続経費の支給額が支給総額中に占める割合は、原告の昭和四九年支給額に例をとれば、成績手当が三七%程度、継続経費が三%程度であるところ、このうち毎月支給される成績手当については、保険契約の募集に時期的な波があるため、各月の支給額にかなりのばらつきが生じうるが(継続経費については、支給額にそれほどばらつきは生じない。)、保険外交員が全く新規に顧客を開拓するのは容易なことではなく、むしろ保険外交員としては、既につながりのできた顧客に別種の保険を勧めたり、その顧客の紹介を通じて新たな顧客の獲得を図る方が、募集成績を上げるうえにおいてはるかに効率がよく、それゆえ、長期間継続して保険外交員の仕事に携わり、多くの顧客を有する外務職員の場合には、年間を通じてみれば、比較的安定した額の成績手当の支給を受けうるものであること(なお、以上の支給項目以外に、組織所長の支給総額のうち相当部分を占める支給項目として、年二回支給される「臨給」がある(原告の昭和四九年支給額に例をとれば、総支給額の一六%程度を占める。)が、これは、昭和四六~四九年の原告の受給額の推移などからして、固定給的色彩と能率給的色彩とを併有する支給項目と解される。)、組織所長には一級と二級があるが、所長二級は、育成・管理にあたる職員数が所長一級より少なく、また、直ちに支部長、支社主任などの管理職に登用されない点で所長一級と異なるが、職務内容や給与体系において、所長一級と所長二級との間に基本的な差異はないこと

(2) 訴外会社では、毎年四月に保険契約の締結額の増減、物価の変動等に応じベースアツプを行つているが、その際、外務職員の給与体系についても、その支給総額の増加率が固定給を受けている内勤職員の昇給率とおおむね一致するよう手直しが行われること(もつとも、前記能率給的な支給部分等、募集した保険契約の保険金額にほぼ比例して支給される支給項目については、通常右保険金額がほぼベース・アツプ率と同程度の割合で増加し、それにつれ支給額も同様の割合で増大するため、特段、右のような給与体系の手直しは行われない。)、訴外会社勤務の組織所長(一、二級合わせて)の支給総額増加率は、全国平均・対前年比で、おおよそ昭和四六年が一四・六%、昭和四七年が一八・八%、昭和四八年が一五・七%、昭和四九年が一八・七%、昭和五〇年が二二・七%となつている(昭和五〇年は昭和四五年の一二九・四%増)こと、一方、毎年の賃金センサス学歴計・産業計・企業規模計全年齢男子労働者(パートタイムを除く)の平均給与額増加率は、対前年比で、おおよそ昭和四六年が一四・三%、昭和四七年が一四・九%、昭和四八年が二〇・八%、昭和四九年が二五・六%、昭和五〇年が一五・八%である(昭和五〇年は昭和四五年の一三〇・八%増)こと

(3) 原告は、昭和三年一二月二一日生まれで、昭和三五年六月訴外会社に入社し、同年八月外務職員となり、以後、同年一〇月正職員一級、昭和四二年四月組織所長二級、昭和四三年四月組織所長一級へと順次昇格し、本件事故当時も組織所長一級の地位にあつたこと、そして、本件事故後休職していたが、昭和四八年二月復職し現在に至つている(復職時には右休職のため正職員一級(営業主任)に二段階降格させられ、昭和四八年七月再び組織所長二級に昇格している。)こと、原告は、昭和四五年の実績で年間総額二五七万三、三三九円の外務支給を受けたこと、そして、原告が外務支給を受けるのに要する必要経費の割合は、その職務内容等に照らし支給額の四四%程度と考えられるから、原告の昭和四五年の実収入は一四四万一、〇六九円であつたと推定されるところ、この額は、同年賃金センサス学歴計・産業計・企業規模計四〇~四九歳男子労働者(パートタイムを除く)の年間平均給与額(一三四万九、四〇〇円)と大差がないこと

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定の訴外会社の規模・営業内容、組織所長の職務内容・給与体系及びその中に占める流動的な要素の程度、訴外会社における、殊に組織所長のベース・アツプの態様・程度、原告の訴外会社における職歴・実績等の諸事実に、原告が特に一般の組織所長の職にある者とは異なつた面を有していたことをうかがわせるに足る証拠はないことをも合わせ考慮すると、本件事故がなければ、原告の昭和四六年以降の実収入額(外務支給額から、前記のとおりその四四%程度にあたると考えられる必要経費を差し引いた額)は、毎年、少なくとも前記(2)中記載の訴外会社勤務組織所長の各年度支給総額平均増加率と同程度の割合で増加するはずであつたと解することができる。そこで、前記原告の昭和四五年の実収入額(一四四万一、〇六九円)及び訴外会社勤務組織所長の各年度支給総額平均増加率にもとづき、原告が取得するはずであつた昭和四六年以降の年間実収入額を算定すると、昭和四六年が一六五万一、四六五円(一、四四一、〇六九×一・一四六)円、昭和四七年が一九六万一、九四〇円(一、六五一、四六五×一・一八八)円、昭和四八年が二二六万九、九六四(一、九六一、九四〇×一・一五七)円、昭和四九年が二六九万四、四四七(二、二六九、九六四×一・一八七)円、昭和五〇年以降が三三〇万六、〇八六(二、六九四、四四七×一・二二七)円となる(なお、原告は、昭和五一年の支給額は、昭和五〇年のそれより、右昭和四六~五〇年の各年度増加率の平均値程度の割合で増加していたはずである旨主張するが、企業における職員のベース・アツプの程度は、一般に各時期の企業成績、物価変動等に左右される面が大きく、従つて、これをその時期より前数年間のベース・アツプ率の平均値によつて安易に推定することは許されないものというべきところ、甲第一七号証、証人芦田昇の証言、原告本人尋問の結果によつては、未だ右原告主張の事実を証するに足りず、他にこれを認めるべき証拠はない。)。

(二)  休業損害 五九万六、九一二円

前認定の原告の受傷の部位・程度、治療経過、症状の部位・程度及びその固定時期に、成立に争いのない甲第五号証、原告本人尋問の結果、経験則をも合わせ考慮すると、原告は、本件事故による受傷のため、事故当日から少なくとも昭和四七年一二月三一日までの六〇五日間休業を余儀なくされたものというべきところ、前掲甲第六、第七号証によれば、原告は、右休業期間中合計一三四万六、五六二円の外務支給(右甲第六号証記載の昭和四六年五月支給分については支給月額二二万〇、二四一円の三一分の二五として計算してある。)及び健康保険傷病手当金ないしは訴外会社からの傷病補給金合計一〇九万九、八三六円の支給を受けたものと認められる(なお、右休業期間中原告が必要経費を支出したことを認めるべき証拠はない。)から、右の休業期間中原告が現実に支給を受けた額(総合計二四四万六、三九八円)及び前示、事故がなければ原告が取得するはずであつた昭和四六、四七年の年間実収入額にもとづき、右休業期間中の原告の減収額を算定すると五九万六、九一二円になる。

(算式)

(一、六五一、四六五÷三六五×二三九+一、九六一、九四〇)-二、四四六、三九八=五九六、九一二

(三)  休業後の逸失利益 三七四万四、四〇四円

前掲甲第六ないし第九号証、成立に争いのない甲第一五、第一六号証、証人芦田昇の証言、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨及び経験則を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 原告は、前認定のとおり、本件事故による休職のため、昭和四八年二月の復職時に二段階降格させられ、同年七月組織所長二級に再昇格したものの、事故当時在職していた組織所長一級の地位にはなかなか戻れず、昭和五一年一二月現在なお組織所長二級の地位にあり、また本俸のうちの付加部分についても、本件事故前の昭和四六年四月には一、一七〇円増額されたのに対し、復職直後の昭和四八年三月には休職前より五一〇円増額されたにすぎず(基礎本俸は一万円増額)、同年四月には増額がなく、昭和四九年四月には七五〇円増額されたにとどまつたこと、なお、原告が昭和四八年以降現実に受けた外務支給額は、昭和四八年(傷病加給金等を含む)が一六八万一、四三七円、昭和四九年が四一七万五、〇七三円、昭和五〇年が四五七万三、三九六円、、昭和五一年が五一二万一、八二八円で、各年度の外務支給減少率〔(一-現実支給額÷得べかりし支給額)×一〇〇%。なお、得べかりし支給額は、前記必要経費率にもとづき前記(一)認定の各年度得べかりし実収入額÷〇・五六として計算。〕は、昭和四八年から昭和五一年まで順に、おおよそ五八・五%、一三・二%、二二・五%、一三・二%となつていること

(2) 保険外交員としては、既に有する顧客を起点として保険勧誘活動を行う方が、全く新規に顧客を開拓するより、募集成績を上げるうえにおいてはるかに効率がよいこと前認定のとおりであるが、原告は、本件事故により一年半あまりの長期にわたり休業を余儀なくされたため、その間保険外交員としての顧客に対するサービス・訪問等の活動を行いえず、休業前有していた顧客の大半を同僚、部下の職員や他社の保険外交員に奪われる結果となり、復職当初は全く新規に顧客を開拓するという効率の悪い方法を主とした外交員活動を行わざるを得なかつたこと、それゆえ、原告としては、復職当初、少なくともある程度の顧客数を有するに至るまでの間、労働能力の低下を考慮外においてもなお募集成績の相当程度の低下を避けえない状況にあつたと推認されること

(3) 原告が休業期間中合計二四四万六、三九八円の支給を受けたことは前認定のとおりであるが、その中には、その項目名、支給の根拠・方法、休業期間中及び復職当初の支給状況等からして、実質的に休業前の勤務実績(必要経費の支出を含む。)にもとづき支給されたと解される支給部分(成績手当三三万八、九八一円、募集旅費三万七、一〇九円、募集旅費二月目追給四万九、二七四円、初年度集金旅費八、六四一円、集金件数手当五、九六六円、継続経費二三万〇、三五八円の各全額と臨給三三万三、〇一八円のうち固定給的な部分(休業末期及び復職当初の支給額より、おおよそ一回の支給額のうち四~五万円と推認される。)を除いた額。なお、右の各支給項目のうち昭和四六年五月分の支給があるものについては、その額の三一分の二五を計上してある。)が含まれているところ、復職後も休業前とほぼ同一の給与体系の下に支給を受けた原告としては、復職当初、労働能力の低下とは無関係に、右の支給部分合計額(約八〇万円強)にほぼ相当する額の支給減少を免れえなかつたと考えられること、また、原告は、本件事故後も約三か月間組織所長一級の地位にいて、その間、職員の育成・管理に関する支給項目である職能手当〔ただし、正職員(月三、五〇〇円)との差額一万三、三二二円〕、補佐手当(六万二、八〇六円)、管理手当(二万二、八三八円)、育成手当(八、一二九円)、補佐資金(二万五、六二九円)の支給を受けたものである(以上の各支給項目についても、昭和四六年五月支給分はその三一分の二五を計上してある。)ところ、原告が復職後四か月強の間正職員の地位に降格させられ、右の各項目の支給を全く受けられなかつた(ただし、正職員としての職能手当の支給はあつた。)ことに照らせば、原告が復職当初組織所長に復職しえなかつたこと自体による支給減少額は、少なくとも右休業中支給された職員の育成・管理に関する諸項目の合計額(約一三万円)に近いものであつたと推認されること

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右に認定した原告の復職後の降格及び昇格・昇給の遅れ、昭和四八年以降の現実の外務支給額の減少の程度、職務内容上及び給与体系上の特質等の事実と前認定の原告の後遺症状の部位・程度とを考え合わせると、原告は、本件事故による受傷後の労働能力低下や長期の休業による影響のため、昭和四八年一月一日から五年間外務支給の減少を余儀なくされ、その程度は、昭和四八年から昭和五一年まで前記外務支給減少率相当の各年順次五八・五%、一三・二%、二二・五%、一三・二%であり(右述事実関係のもとにおいては、特段の事情がないかぎり(かかる特段の事情は認められない。)右各年度の現実の外務支給減少額が右労働能力低下等と相当因果関係を有する減少額といえる。)、昭和五二年は年間一三・二%と解するのが相当である(右の五年間は必要経費の額も減少したものと推測されるが、その減少率は、特段の事情の認められない本件においては、労働能力の低下(これ自体は右五年間にわたり一五%ほど低下)率にほぼ比例するものと解するのが相当というべく、従つて、五年間共に一五%程度にとどまつたものというべきである。)。そこで、前記(一)の昭和四八年以降の得べかりし実収入額にもとづき、原告の昭和四八年一月一日以降の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると三七四万四、四〇四円とする。

(算式)

(イ) 昭和四八年分

(外務支給減少額)二、二六九、九六四÷(一-〇・四四)×〇・五八五=二、三七一、三〇一

(必要経費減少額)二、二六九、九六四÷(一-〇・四四)×〇・四四×〇・一五=二六七、五三一

(差引減収額)(二、三七一、三〇一-二六七、五三一)×〇・九五二=二、〇〇二、七八九……<1>

(ロ) 昭和四九年分

(外務支給減少額)二、六九四、四四七÷(一-〇・四四)×〇・一三二=六三五、一一九

(必要経費減少額)二、六九四、四四七÷(一-〇・四四)×〇・四四×〇・一五=三一七、五五九

(差引減収額)(六三五、一一九-三一七、五五九)×(一・八六一-〇・九五二)=二八八、六六二……<2>

(ハ) 昭和五〇年分

(外務支給減少額)三、三〇六、〇八六÷(一-〇・四四)×〇・二二五=一、三二八、三三八

(必要経費減少額)三、三〇六、〇八六÷(一-〇・四四)×〇・四四×〇・一五=三八九、六四五

(差引減収額)(一、三二八、三三八-三八九、六四五)×(二・七三一-一・八六一)=八一六、六六二……<3>

(ニ) 昭和五一、五二年分

(外務支給減少額)三、三〇六、〇八六÷(一-〇・四四)×〇・一三二=七七九、二九一

(必要経費減少額)三、三〇六、〇八六÷(一-〇・四四)×〇・四四×〇・一五=三八九、六四五

(差引減収額)(七七九、二九一-三八九、六四五)×(四・三六四-二・七三一)=六三六、二九一……<4>

(ホ) 減収額合計 <1>+<2>+<3>+<4>=三、七四四、四〇四

4  慰藉料

本件事故の態様、原告の受傷・後遺障害の部位・程度、治療経過、年令その他諸般の事情を考え合わせると、原告の慰藉料額は一二〇万円とするのが相当である。

三  損害の填補

原告が自賠責保険金合計一〇二万円を受領し、また、被告より休業補償として九〇万円の支払を受けたことは、原告の自認するところである。よつて、原告の前記損害総額から右填補分合計一九二万円を差し引くと、残損害額は四六五万九、一〇六円になる。

四  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告が被告に対して本件事故による損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は四六万円とするのが相当であると認められる。

五  結論

よつて、被告は、原告に対し、五一一万九、一〇六円及びこれに対する本件不法行為の日の後である昭和四九年五月一八日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の本訴請求は、右の限度で正当であるからこれを認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木弘 大田黒昔生 畑中英明)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例